2007年10月3日水曜日

Evgeny Lebedev  『 Fall 』

1984年モスクワ生まれのピアニスト、エヴジェニー・レベデフの2005年録音のデビュー盤。録音時は若干20歳、と言うと同じロシア出身のエルダー・ジャンギロフ(キルギス出身)を思い出しますが、ジャンギロフが幼少期から既にアメリカに渡り音楽教育を受けたのに対してレベデフは、モスクワ1623学校、モスクワ芸術大学、そしてグネーシン音楽大学と、一貫してロシアでの音楽教育で鍛えられたピアニストなのです。

正直なところ、ロシア生まれ、ロシア育ちの生粋のロシアっ子のピアノ・トリオを聴くのは今回が初めてでした。ロシア人ピアニストと言えば、澤野商会から再発されたコンパス盤 『 Live in Groovy 』 で話題となったウラジミール・シャフラノフが既に有名ですが、彼の場合は若くしてフィンランド ( 妻がフィンランド人 )、更にはニューヨークに活動の場を移してしまったため、全くと言っていいほどロシア訛りのない洗練されたスタイルに変貌してしまっていますし、寺島靖国氏推薦のセイゲイ・マヌキャン・トリオでピアノを弾いていたヴァレリー・グロホフスキー(Valeri Grohovski)にしても、やはり早い時期からアメリカに渡り、フランス、コスタリカなどを中心に世界的な活動( クラシック分野でも活躍 )を行っていて、そのスタイルは耽美的、叙情的な欧州ピアニストのそれに近似しているように思われます。


バルド三国の一つ、旧ソ連エストニア出身のトヌー・ナイソーの 『 With A Song In My Heart 』 (2003 sawano )を聴いた時も、あまりにもエヴァンス的なその手法に拍子抜けしまった、なんてこともありました。

本当のロシア的なピアノ・トリオというものはあくまで幻想に過ぎず、実際には米国、欧州との音楽交流、ミュージシャンの拡散、放出、流入によりロシアらしさというものが存在しなくなっているのかと思っていました。80年代のペレストロイカに続く91年のソ連崩壊により、ロシアの音楽家は表現の自由を手に入れたその一方で、資本主義経済の下、音楽商業的な成功を求められたミュージシャン達は、より住みやすい土地を求めて次々と海外に移住していったといわれています。そんなロシアのハードな音楽事情の中、純然たるロシア産ジャズ・ピアニストであるエヴジェニー・レベデフが母国レーベルから作品を送り出してきたということは注目すべき出来事です。


彼のオリジナル曲6曲にW・ショーターの ≪ Footprints ≫、≪ Fall ≫ とK・ギャレットの ≪ Journey for Two ≫ を挟み込んだ全9曲の構成。非4ビート系のグルーブ感に溢れるオリジナルに耳が奪われます。スパルタニズムなロシア音楽教育で鍛え上げられた強靭な左手から繰り出されるソリッドなリフに乗せて始まる冒頭の≪ Footprints ≫で、ほとんどの聴き手は“何かやってくれそうな予感”を彼に感じ、胸が高鳴るはずです。若い世代だからこそ生まれ得るポップな語法に満ち溢れた作曲能力も素晴らしく、また一方では、エルダー・ジャンギロフに欠けていた抒情性も上手く表現されています。しかも決して取って付けたような抒情性ではなく、陰影深く、夢幻的な美しさを纏った抒情的バラード・プレイは20歳そこそこの少年が紡いでいるとは俄かに信じられません。さらに付け加えるならば、超絶技巧を遺憾なく見せつけるレベデフの脇を固めるベースとドラムスもかなりのテクニシャンです。


ロシア・ジャズと言えば、どうしても前衛・即興音楽家の独壇場であり、更には彼らを取り巻くジャズ評論家達も非常に学究的、哲学的であり、僕のような軟弱ジャズ・ファンには近寄りがたい領域だったのですが、こんなピアノを聴いてみると、やはりロシアにもスタンダードでコンテンポラリーなジャズがしっかり根付いているんだなあ、と実感し、少しだけロシア・ジャズが身近に感じられるようになりました。レベデフは2004年にはバークリー音楽院の奨学金を獲得し米国での活動の足掛かりを築き、おそらく現在、母国と米国の両方で活動していると思われます。今後の活躍が大いに期待したいものです。

Evgeny Lebedev  『 Fall 』 2007年発売  One Records??
Evgeny Lebedev (p)
Anton Chumachenko (b)
Alexandr Zinger (ds)

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